海の向こうで暮らしてみれば

日々の小さな発見や初めての育児、ワンコのことをゆっくりつづります。

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国境を越えて


 今年は戦後70年と言うことで、フランスのテレビでもいくつかのドキュメンタリー番組が放送されていました。私は8月のヴァカンス先で夜中にその番組を見ました。

 その中でその日落とされた原爆で我が子を目の前で亡くした日本人女性が言いました。その日その時子供さん2人は朝食が終わり奥の部屋で遊んでいました。ご主人はいつもの様に朝刊を読んでいました。彼女が原爆が落とされた後に瓦礫の中で目を覚ますと子供さんの「お母さん~、熱いよ。助けて。」と叫ぶ声が聞こえました。子供さんは自宅の瓦礫の下敷きになっていて、彼女は自分にできる限りの力でそれを何とか動かして子供さんを助けようとしました。火があちこちから上がっていた。子供さんを助けることは出来なかった。彼女は我が子に「ごめんね。お母さん一緒に死ぬ勇気はないよ。ごめんね。」と言いながら子供さんの最後を見届けました。

1人の母として我が子が目の前で苦しんでいる姿を見届けなければいけないことほど辛いことはないでしょう。私がもしその立場に置かれたら我が子にその言葉をかけてあげただろうか?また次の日を迎えることが出来ただろうか?

私たちがどのように戦争を知らない、原爆を知らない子供たちにこの話を伝えたら良いのだろう?と自問自答しました。



それから数週間が過ぎたころ、ある出会いがありました。私たちのご近所友達のドゥニが友人を紹介したいからと彼の家に呼んでくれました。


行ってみるとそこにはブルキナファソという国から来たリシャールがいました。ピシッとしたスーツを着て白いワイシャツの出で立ち。
彼は小学校の先生をしていて夏休みの間にジュネーヴの医療施設で坐骨神経の治療のためにこちらへやって来ました。旅費は国が援助をしてくれて、ジュネーブではホームステイをしていたとのこと。ドゥ二とは彼の従兄が空港で迷い困り果てていたリシャールを助けてあげたことがきっかけで知り合い、毎年ジュネーブに来るときにはフランスの我が町までドゥニや従兄たちに会いにやって来るのだそうです。


その日、まだ夏の終わりとは思えない暑さの中でリシャールの国の話をたくさん聞きました。リシャールはブルギナファッソの貧困状態を教えてくれました。

彼の住む首都のワガドゥグーでは奥さんが毎朝4㎞の道のりを徒歩で飲み水を汲みに行くそう。15歳になる息子さんは学校に行く前にお母さんと一緒に水汲みへ。食事は麦やトウモロコシを水で煮立てたスープのようなお粥のようなもの。ごくたまに野菜も少量食べられるとのこと。1年間に小学校に子供を入れる費用(学校自体は無料だが、ノートや鉛筆など文房具に掛かるお金)が25ユーロ。ほとんどの一般人の平均月収が5ユーロ。だから学校に通える子供はとても少ないそうです。
その学校に通う子供たちのほとんどが空腹状態で4km~9kmの道のりを徒歩または走って通学しています。

リシャールは言いました。「僕のクラスの子供の中には、6kmの道のりをまだ夜明け前に家を出て走ってくる子がいるんだよ。でも家が遠い子は学校の勉強が出来る子が多いんだよ。不思議でしょう。」給食はもちろんなく、子供たちは家から食べ物を持ってきて食べるとのこと。

リシャール 「明日夕方5時に出発する飛行機で帰ります。乗り換えがあるから夜中の12時、現地時間の2時には到着でしょう。」

タンタン   「と言うことは、フランスとブルギナファッソの時差は2時間だね。」

リシャールはタンタンを見つめてとても嬉しそうに微笑みました。「君はとても良く人の話を聞いている子なんだね。ちょっと待っていて!!!」

リシャールは自分が持ってきた金属製のブレスレットをタンタンの腕にはめてくれました。タンタンははにかみながらリシャールにありがとうのビズをしました。

夕飯を一緒に食べ終わった後にリシャールが言いました。

「今日この場所であなた達一家にお会いすることが出来たこと神に感謝します。私の国の話をしたけれど、それとフランスの違いを感じて貰えたら、それだけで十分なんだ。
タンタン、今から僕の話を聞いてください。大きくなったらリシャールというおじさんがこんな話をしていたな~と思い出してくれればいいからね。
君はお父さん、お母さんが毎日一生懸命に働いたお金で学校へ行けるでしょう。ご飯が食べられるでしょう。学べると言うことはすばらしいんだ。だからそれを忘れないで。お父さん、お母さんのお手伝いをして、学校の勉強を一生懸命して出来ることを増やして大人になってほしい。そして学んだことを生かして生きるんだ。」

リシャールは12人兄弟の末っ子です。12人のうちの8人は満足な予防接種などが受けられなかったために病気で亡くなりました。リシャールのお父さんの収入が少しだけ上がった時、リシャールは小学校に行けました。4人生きている兄弟のなかで彼だけが教育を受けることができた。彼は教師になり、結婚して男の子を授かった。でも家族は皆リシャールの奥さんを叱った。「どうして子供を作らないのだ?」と。リシャールは「自分の子供には教育を受けさせたい。そのためには僕の力では1人だけ。子供が満足に食べられない、教育を受けられないなら意味がないでしょう。」と言いました。教育を受けていない、子供は働き手の一つだと思っている家族にその考えを解ってもらうのはとても難しいことなんだと。。。

戦後70年を迎えた今もこのような国がある。フランス語を話せる、そしてタンタンに大きな優しさと生きていることの大切さ、彼の国の話をしてくれたリシャールに出会えたことや彼に会わせてくれた友人ドゥニに感謝しました。

「来年、もしかしたら再来年、またリシャールに会えますように。」そう願ってリシャールにメールをしたらとても丁寧な返事が返ってきました。リシャールが歩いて行ける距離にインターネットを出来る場所があることを嬉しく思います。





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プロフィール

tintinmaman

Author:tintinmaman
タンタンママです。フランス菓子を勉強するために渡仏。フランス・リヨンの郊外での生活も10年目突入。パティシエを続けながら、同職の夫と2人の息子たちとのんびり生活中。

夫→普段は物静かな人。しかし怒らせると手が付けられない典型的なラテン男。こだわる事については完璧主義な働き者。

タンタン→長男・2008年5月4日生まれ。サッカー好きなおしゃべり5歳児。

ジュジュ→次男・2013年8月21日生まれ。お兄ちゃんと同じ4000gで生まれたビックな赤ちゃん。

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