FC2ブログ

海の向こうで暮らしてみれば

日々の小さな発見や初めての育児、ワンコのことをゆっくりつづります。

Entries

2017年


こんばんは。2017年ももうすぐ終わりですね。


私はそろそろ年越しご飯の仕込みをと思いながら、だらだらしています。N氏とジュジュは今年最後のお昼寝中です。


数日前「ロイック」と言うジュジュの大切なドゥドゥ(フランスの子はドゥドゥというお気に入りの縫いぐるみを持っている子が多いのです。)が行方不明になりました。彼が生まれた時にN氏の叔母さんがお祝いにくれた馬の縫いぐるみです。ジュジュは疲れるとロイックに顔をこすりつけて一緒に寝るのが習慣でした。

あんなに大切にしていたロイックが見つからないのに本人はケロっとしています。私はN氏と2人で探しましたが見つかりません。そんな大きな家じゃないのに「どうして見つからない~?」とありとあらゆる場所を探しました。

謎です。



今日は私のお婆ちゃんのお話を書きます。



木曜日に左手に注射をした後、物凄い痛みに夜中に襲われいつもは飲まない強い痛み止めを飲んだんです。そうしたらお婆ちゃんが夢に出てきたのです(笑)

お婆ちゃんは今痴呆になってしまい私の母の家の近くの施設にいます。彼女が施設に住み始めてしばらくたって偶然にも、N氏の母方のお婆ちゃんも痴呆になってしまい、施設に入りました。彼女たちは多分同じ歳です。


お婆ちゃんは若いころにお爺ちゃんを亡くし長い間一人暮らしをしていました。私は小学校の1年生位から毎年夏になるとお婆ちゃんの家に電車に乗って遊びに行き、数週間滞在するのがお決まりの夏休みでした。


私の母がお婆ちゃんに 「娘が何日から行くからね~」と電話をすると、「○○は何を食べさしたらいいんだべ?」(何を食べさせたら良いんだ?)といつも言っていました。

その度に母は私が何でも食べるし、そんな特別なことはしなくても大丈夫だから!と言って、私を電車に乗せてくれました。






私はお婆ちゃんに色々なことを習いました。普段は父方のお婆ちゃんの家で過ごすことが多かった私はいつもお仏壇にお線香をあげてから遊んだりするように教えられていました。だからお線香をあげたら、今度は近所のお婆ちゃんのお友達がやってきました。お婆ちゃんは私に畳の上に正座をして手をちゃんと前についてご挨拶しなさいと教えてくれました。


家はいつもピカピカで、ご飯の前には神棚と仏壇に朝一番に炊けたご飯をお供えしてから朝ごはんを食べます。日中はお婆ちゃんが行っていた接骨院に着いて行ったり、お爺ちゃんのお墓に持っていくお団子を一緒に作ったりしました。




私が保育園の頃に若くして亡くなったお爺ちゃんは凄いハンサムで、仏壇の写真も凄いきりっとしていた。でもお婆ちゃんはお爺ちゃんが生きていた時の苦労話ばかりを私にしていました。子供心に私は「?」と思っていました。普段は父方のお婆ちゃんがいつも亡くなったお爺ちゃんの事を褒めたり、お爺ちゃんがいなくて寂しいと言う事を聞いていたから。

同じように夫を看取ったお婆ちゃん2人の反応が正反対すぎて驚いた。

何度もお婆ちゃんの家で夏休みを過ごすようになってわかったことは、お婆ちゃんの言葉の裏に隠れている気持ち。お婆ちゃんが言う 「お爺ちゃんは~」と言う困った話→「お爺ちゃんの事が大好きだった!」
   「ご近所さんのお裾分けが少なくてケチくさい!」→「お裾分けを持って来てくれるご近所さんは優しくて、ありがたい」


兎に角お婆ちゃんの口にすることが面白いな~と思いながら過ごしていた夏休み。今思えば変わったことなど何もなくて、両親も弟もいないお婆ちゃんの家で過ごす夏休みが私は好きだったのだと思う。都会の街とはちがうのんびりした田舎で、お昼ご飯を食べ終わるとお婆ちゃんが「夜はなんにすっぺ?」(夜ご飯は何食べる?) と聞いてくる。

その時は「まだお昼ご飯食べたばかりなのにわからないよ~」とお婆ちゃんに言ったけれど、今はお婆ちゃんの気持ちがわかる。




2日に1回くらいはお婆ちゃん家の裏の方にあったお店屋さんに2人で行って、買い物をした。たまにお婆ちゃんは地元で採れた美味しい梨の段ボールをお店の叔母ちゃんに頼んで、両親の家に送っていた。その時お婆ちゃんは「子供のころは食いたいもんも食わせてやれなかったから。」とぼそりと言いながら歩いていた。



お婆ちゃんはそんな風には見えないのだけれど実は大変辛抱強い人なのだ。若いころ子供たちにはご飯を食べさせるのもやっとで働いたと。


お婆ちゃんの家の近くに住んでいた叔母もよくお婆ちゃんの家にいる私を迎えに来てくれて、遊びに連れて行ってくれたり、ご飯を食べさせてくれたりした。



お婆ちゃんと叔母ちゃんが作るご飯が美味しいから私はいつも嬉しくて、のんびり夏休みを過ごした。


いつも家で食べるご飯とは味が違った。何でも美味しい。素材が違ったのだと思う。




私がフランスに住み始めてから震災が起きた。仕事が終り帰宅すると、お婆ちゃんが住んでいた街はもう水浸しでヘリコプターで上空から撮影しただろうと想像できる光景がテレビに映っていた。


小さいころお婆ちゃんの家に私を迎えに来てくれた母と叔父で帰り道に海に寄ったことがあった。ずっと続く砂浜が綺麗な海だった。母は後にその砂浜を「福島のコート・ダジュール」って言っていたけどその通りだと思った。




お婆ちゃんが母を産んだ時、お産婆さんは生まれてきた赤ちゃんは弱っていたので新聞紙にくるんで横に置き、お婆ちゃんの手当をした。お婆ちゃんの体が少し落ち着いたから、新聞紙にくるんだ赤ちゃんを開けて見てみたら赤ちゃんはまだ生きていた。その赤ちゃんが私の母。命って凄い。


私にとって「不思議な発言が多いなあ」と思っていたお婆ちゃんはとてもユニーク。当たり前だけれど、彼女が居なければ私の母はいないわけで、私もいない。



時が経ち私は結婚した。その後母が私に教えてくれた。お婆ちゃんのお誕生日が私とN氏の結婚記念日。その事を知らなかった私はびっくり驚いたけど、同時にとても嬉しかった。


年が明けたら、もうすぐお婆ちゃんのお誕生日がやって来る。お婆ちゃんは私と過ごした夏休みを覚えているのだろうか?私の中のお婆ちゃんは着物をさらっと洋服の様に来て、自由に暮らしていたあの時のお婆ちゃん。




2017年もお世話になりました。2018年も皆さんが健康で幸せな1年でありますように・・・







Comment

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

左サイドMenu

プロフィール

tintinmaman

Author:tintinmaman
タンタンママです。フランス菓子を勉強するために渡仏。フランス・リヨンの郊外での生活も15年目突入。パティシエを続けながら、同職の夫と2人の息子たちとのんびり生活中。

夫→普段は物静かな人。しかし怒らせると手が付けられない典型的なラテン男。こだわる事については完璧主義な働き者。

タンタン→長男・2008年5月4日生まれ。サッカー好きなおしゃべり9歳児。

ジュジュ→次男・2013年8月21日生まれ。お兄ちゃんと同じ4000gで生まれたビックな赤ちゃん。年中さん。

カレンダー

07 | 2018/08 | 09
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

最新記事

最新トラックバック

右サイドメニュー

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード

FC2カウンター