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海の向こうで暮らしてみれば

日々の小さな発見や初めての育児、ワンコのことをゆっくりつづります。

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スッキリしました。

こんにちは。先ほど日本の母と話をしていてスッキリしました。

アルデッシュの旅の続きや他にも色々書きたいことはあり下書きするのですが、色々ありまして下書きばかりが溜まっていきます。


まあそんな中で書こうと思ったことが急に出来たので書きましょう。私は小さい頃から「これをやろう!」と思ったら、どんなことがあろうともまずはそれをやってしまう。行動に移してしまう性格です。

ありがたいことに、周りの方も一番近くに居る家族も私のその性格を十分すぎるほどに知っているので、優しく見守ってくれるのです。

しかし時にはそのやろうとする目的に達成するまでにはとても長い道のりだったり、その他のやりたいことを我慢してでもやらなければいけない場合があるのです。



まず今回の記事のカテゴリーを作る日が来るなんてと思っていました。

それは単に今まで自分で夫であるN氏が日本人ではないから(フランス人だから)と意識して結婚した訳ではないからです。多分N氏もそうだと思います。彼は知人や友人に「どうして日本人と結婚したの?」と聞かれると必ず「結婚しようと思った人が日本人だったから~」と答えるのです。



時は数十年前、私がフランスでの製菓学校を卒業して初めて就職した場での出来事です。当時私はN氏と離れた日本に戻り就職しました。大変な職場でしたが、やりたいことを仕事にしたので出来る限りの力とコミュニケーション能力を振り絞り働いていました。職場の先輩たちには2人私が卒業したのと同じ学校を数年前に卒業して働いている人がいました。

この時にも私は先輩たちには本当に恵まれていて、いろんな事を学びました。当時の先輩たちは今は皆さん地元でお店を出されて活躍されている方で、本当に努力家です。

一方当時私は入りたい職場に就職できた嬉しさとフランスで「私を待っている」とは言わないまでもきちんと手紙や電話で近況報告してくれるN氏との間で葛藤する日々でした。

ある日先輩の1人が私に言ったのです!

「僕は学校のおかげであの夢にまでみたポール・ボキューズ氏のお店に修行に行ったんだよ。そうしたら、フランス人に気に入られて卒業生の関西の店に就職が決められていた。(当時の業界ではよくある話なのです。)だから喜んでその店に就職したらとんでもない目にあったんだ。なりたかった料理人にはなれないと思って地元に戻ってきたら、ここにたどり着いたんだよ。」

その先輩は仏料理人になろうとしたのに、いろいろあって私が働いていた職場のパン屋さんでパンを作っていたんです。でもその職場にはパリの本店から技術を教えに来ている仏人の職人さんがいました。先輩は仏時代に覚えた言葉で技術を習いとても腕の良いパン職人になりました。

いつも先輩の働くパン工房の一角の生地を伸ばす部屋でお菓子の生地を伸ばしていたのが私。私のお菓子職人になりたい気持ちや、フランスにいたN氏の話を聞いた先輩がある日言いました。

「○○ちゃん(私)、フランスに戻って結婚した方が良いよ!それからでもお菓子職人にはなれるよ!やってみなきゃわからないよ!」

この一言がとても大きな一言でした。「自分の人生は自分で決める」その代りちゃんと「自分の人生に責任は持つ」それが先輩たちに教えて貰ったことでした。


特に恵まれていたのは、そのパン屋さんに来ていたパン職人のフランス人が、休日に私にフランス語を教えてくれたりしたこと。ご飯や温泉に連れて行ってくれる職場の同僚や先輩も皆地元から遠いその場所で就職している人が多く、休みの日も雪国の中ではやる事がなく、皆で出かけられる様にしてくれたことでした。






そして少しの間時を経て、私はフランスに来ました。

話は現在に戻ります。前置き長くてごめんなさい。



そんなこんなで色々ご縁もあったのでしょう。あれよあれよと話が進みN氏と結婚生活が始まりました。

結婚数年目で、日本にいとこの赤ちゃんに会いに行った時の事。私のいとこの旦那さんとN氏とタンタンもいました。何かの話で「でもフランス人は気難しいんだろうな~」といとこの旦那さんが言いました。

その時はまだ、フランス人の気難しさを半分も解っていなかった私。『世間の(日本人)のフランス人に対するイメージとはこんなものなんだな~』とぼんやりと思っていたのです。

日本の一時帰国時に行った美容院では「ねえフランス人の旦那さんは優しいの?日本の旦那さんとはどう違うの?と聞かれました。答えは「わかりません」なのです。

日本人にも優しい旦那さんはいる。フランス人にもいる。でもそれは人それぞれなのです。まして、日本人と結婚したことのない私には相手の求めているであろう答えは到底出てこないのです。




この辺りから(結婚して数年~10年)あれ?と思っていました。




私は自分の父が母に愛の言葉を囁いているのを聞いたことなどありません。私自身もN氏から愛の言葉を聞いた事は数回。


N氏と話をしていて私が彼の意見を求めると帰ってくる答えの種類はだいたい3つ。

① 「サ・デポン」(時と場合によるよ)
② 「ン・ン~」  (単にこの音で相槌を打つように発している答え)
③ 「ウィ!」

この3つ。でも②の場合、言っているニュアンスや表情で違うのです。そうなってくるとその時の状況で彼の言おうとしている部分を読み取らなくてはいけない。

勿論私は最初の数年(おそらく数年どころか最近まで)はそうしていました。聞かずして彼の声のトーンで理解するように努める。

ところが最近になって私は「聞いてみる」行動に出ました。
「それは賛成の意味のン・ン~なのか?反対なのか?あなたの答えは曖昧すぎて解らない。ちゃんと説明してくれる?」
「ウィ~」はどこがどう「ウィ~」なの?あなたはどう思うの?

などと聞いてしまうのです。

これが事の始まり!

我が家には
・気性も話し方も夫にそっくりな9歳児
・顔は私に似ているお兄ちゃんの話す事を何でもまねるちゃっかり4歳児がいます!

これを始めると、夫は出来る限り対応して話し合いますが、子供たちは・・・となる訳です。


まず夫は私が子供と夫をセットで扱う事を嫌います。つまり夫は子供ではなく「愛する人・人生のパートナー」でなければならないと思っています。

ここが器用に出来る人はきっと前世はフランス人。自由に生きられる人なのです。


私はそんな事は器用には出来ない人間なので、夫とタンタンにとっては「私=キンダーシュープリーズ」なのです。つまりは私は理解するまでには時間のかかる人。時には中にお楽しみの玩具が隠れている可能性ありな人。もちろんお菓子のチョコのおまけの玩具なので、遊べるようになるまでには自分で組み立てなきゃいけないんです。


私としては時間がかかったって良いんです。理解しようと努めるエネルギーがそこにあるならば。




日本の母と話をしている時に母が言います。「N氏ってパパにそっくり~!」つまりは夫は私の父に似ているそうなんです。

日本人のように「言わずとも解ってくれ~!」というメッセージが行動に出ているのです。


まあ世の中には昭和の「日本男児」のようなフランス人も存在するという事にしておきましょう。


そしてまじめな性格の日本人は全てを完璧にこなす必要はないのです。自分でやるべきことが出来ない時には「手伝って貰える?」とニコリ(←ここ大事)と聞くことが出来ればなるようになるのだと思うのです。



数十年後には私もアルデッシュのおばあの様に「おじい~今度の14日は何の日か知っているかい?」と言えるおばあちゃんになれるのでしょうか?

そう聞いたら我が夫は

「サ・デポン~」 

と答えるのでしょう。







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プロフィール

tintinmaman

Author:tintinmaman
タンタンママです。フランス菓子を勉強するために渡仏。フランス・リヨンの郊外での生活も15年目突入。パティシエを続けながら、同職の夫と2人の息子たちとのんびり生活中。

夫→普段は物静かな人。しかし怒らせると手が付けられない典型的なラテン男。こだわる事については完璧主義な働き者。

タンタン→長男・2008年5月4日生まれ。サッカー好きなおしゃべり9歳児。

ジュジュ→次男・2013年8月21日生まれ。お兄ちゃんと同じ4000gで生まれたビックな赤ちゃん。年中さん。

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